「Choreographers2022」振付家インタビュー① 静岡公演
下島礼紗「ビコーズカズコーズ」を語る。
掲載日:2023/02/08
聞き手:小林旬(静岡市清水文化会館マリナート)
いま、コンテンポラリーダンス・シーンでもっとも注目されているひとり、下島礼紗。彼女が率いるダンス・カンパニー「ケダゴロ」が、2021年に初演した作品『ビコーズカズコーズ』を完全版として、秋田、東京に続いて静岡市清水文化会館マリナートで上演する。下島礼紗に聴いた。 小林: 「ケダゴロ」『ビコーズカズコーズ』と聴いて、コンテンポラリーダンスに関心のない人にはなんのことだか判らないと思うのですが、まず、「ケダゴロ」というのはなんですか? 下島: 私、鹿児島の出身なんですけど、「ケダゴロ」というのは、獣(けだもの)の排泄物のことなんです(笑)。道に落ちてる汚いもの。花に蝶が集まるように、そこには蠅が集まってきて、蠅にとっては有益なものなんです。不必要なもののようでも、誰かにとってはたいせつなもの、そういう存在でありたいと思ってるんです、ケダゴロは。鹿児島の人たちもほとんど使わない言葉だし、ネットで検索してもみつからないし、グループの名まえとしてはオリジナリティもあっていいかな、と思ってます。 小林: ケダゴロを結成したとき、このカンパニーでどんなことをしたいと考えてたんですか? 下島: もともとダンス・カンパニーとして結成して始まったわけではなく、ケダゴロという名義で作品を創るのは1回限りのつもりだったんです。思いっきりぶっとんだことをしたかった。その1回でやろうとしたのが、6m×6mの狭い空間に20人がひしめきあって踊る『ヒトヤマ』という作品です。私、100均とかスーパーとかで小道具なんかを探すの好きなんです。学生だったので資金もなく、そのときの衣裳をどうするか考えていたときに、オムツがちょうど20枚で1,500円くらいで売っているのを見つけました。これにしよう、すごくクレイジーでいい、と思って衣裳に採用しました。ただ、これを観た人たちからは、かなり賛否両論があがったんです。「おもしろい」とか「下品だ」とか。そんなに反応があったのは初めての経験でした。思考の渦がわきあがってきて、これは続けていこうと思いました。 小林: たしかにケダゴロの作品は、『sky』(2018)では連合赤軍事件(1971)とオウム真理教事件(1995)、『ビコーズカズコーズ』(2021)では松山ホステス殺人事件(1982)の福田和子、『세월』(2022)では韓国のセウォル号沈没事故(2014)と、いずれも社会的な事件を扱って、いつもかなり賛否両論がありますね。
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下島: 栗本慎一郎の『パンツをはいたサル』(1981)にインスパイアを受けて創ったソロの作品『オムツをはいたサル』(2017)でオウム真理教の〈尊師マーチ〉を音楽に使ったんですが、これも思ってた以上に賛否があった。父の仕事の都合で3歳のときにパリから羽田空港に帰国したのが地下鉄サリン事件の日で、もちろん事件の詳細を理解していたわけじゃないですけど、自分の原風景なんです。オウム真理教に対しては、人それぞれ、さまざまな考え方や感じ方をしていると思います。いまなおあの事件で苦しんでる人もいる。取り上げ方によってはそうした人たちを再び傷つけかねない、とても繊細な問題を抱えた事件です。でも私はそうやってデリケートな問題を抱えているがために、表現の領域で触れることをタブー視されている事件には、むしろ表現でこそ向き合うべき問題が含まれているのだと思うんです。そうした問題を作品で取り上げると、おのずと観る人たちとのさまざまな議論が生まれる。ダンスのためにこうした事件を取り上げるのではなくて、ダンスが社会のなかに存在するからには、こうした問題に向き合わざるを得ないと思うんです。 小林: これまでコンテンポラリーダンスで社会的な事象が扱われたということはほとんどないように思います。 下島: 私としては、ダンスは目に見えない不確かなものを暴いていく手段だと思っています。そして、自分にとっていちばん不確かなのはやはり「死」というもの、そして「生」です。つまり「人間」というものがもっとも不確かなものだと思うんです。いろんな事件のなかに「人間とはなにか」という本質が見え隠れしていて、ダンスという方法論によってそれが顕わになるんじゃないかと思ってます。 小林: 今回の作品『ビコーズカズコーズ』は、福田和子という、同僚のホステスを殺害して約15年のあいだ全国を逃亡し続け、時効21日前に逮捕されたことがモティーフになっていて、彼女は整形をくり返して「7つの顔を持つ女」といわれ、この舞台では8人の福田和子が2人の男から死にもの狂いで激しく逃げまくります。まず、『ビコーズカズコーズ』というタイトルが秀逸だと思うのですが。 下島: タイトルっていつも悩むんですよね。この作品については半年くらい考え続けてたんです。ケダゴロのメンバーはプロのダンサーではなくて、飲食店とかYouTuberの動画編集者とかアパレルとか水道業とか映画館のスタッフとか、ふだんは一般社会に潜伏してる(笑)ごく普通の人たちで、それがケダゴロの非常に重要なポイントなんですけど、メンバーのひとりから、複数の福田和子だから「カズコーズ」、「ビコーズカズコーズ」!と言われて、もうそれ以上ぴったりなタイトルが思いつかなかった(笑)。私はコンテンポラリーダンスのシーンや方法論にどっぷり浸かって活動をしていくことに違和感があるんです。そういう「芸術」の内側の社会ではなくて、芸術をも抱え込んだ、もっと大きい意味での「社会」の感覚、そういう感覚に向き合い続けることを大事にしたいんです。そこで、ちゃんと受容されるものでないとダメだ、と思ってるんです。
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小林: 『ビコーズカズコーズ』で福田和子たちを追う2人の男はニュートンとアインシュタインで重力を象徴していますが、演劇的な要素もあるけれど、福田和子の逃亡の物語を描いているわけではなくて、福田和子という存在を借りて、ダンスや身体がいかに重力から逃れられるか、解放しうるのか、ということへの挑戦だと思いましたが、どうなんでしょう? 下島: 初めは、福田和子の殺人事件というのは絞殺だから、ロープを使った動きだけでロープに呪われたダンスができないかと考えていました。劇場の舞台に吊ってあるバトン(単管)にロープを掛けてぶら下がってみたら、重力がダンスを阻害して、人間ってこんなに重いのか、と思ったんです。コロナ禍になって、地球のどこにも逃げることはできない、ということが重力について考える大きなきっかけになって、この作品は重力が中心的なテーマになったんです。私が作品を創っているというより、状況が作品を創っているという感覚がありますね。初演のときには、自分ではなにを創ったのかよく判っていないんですが、観た人のほうがよっぽどよく理解していて、ほんとに自分をはるかに超えている。ディスカッションをしているうちに、彼らが観ていた景色をより具現化しようとしたのが今回上演する『ビコーズカズコーズ Because Kazcause<完全版>』です。今回、東京公演で終演後に討論会をやってみたんですが、挙手だとなかなか発言しにくいのでQRコードで参加できる方法を採って、30分で30の質問に答える。自分も答えながら、作品を初めて認識することが多かったです。 小林: この作品もそうですけど、ケダゴロは、とにかくダンサーたちが激しく動きますよね。ダンサーたちにとって、また、観衆にとって、そこからなにが視えてくるのでしょう? 下島: たとえば断崖絶壁にぶら下がっているとして、生命の危機に晒されていたら、理性よりも肉体が優先されるじゃないですか。考えるよりも、肉体のほうが勝手に動く。肉体そのものが思考する。舞台は、演者と観衆のあいだに虚構という契約があるわけですけど、肉体が限界状態になってくると、そうした虚構や振付という制約を破ってなんらかのエラーが起きる。そこに人間の本質が顕わになるんじゃないか。人間とは、そういうものを観るべき、観せるべきだと思うんです。 小林: なるほど。ケダゴロが今後も必ず社会的な事件を取り上げなければならないとは思わないですが、でも、次に取り上げるとしたら、なんでしょう? 下島: 袴田巌事件(1966)に関心があります。事件そのものより、彼はとても長いあいだ収監されて、監獄のなかをずっと歩き回るようになった。で、釈放されてからも家のなかを同じように歩き回ってしまうそうなんですね。それって肉体のエラーだと思うんです。そこからなにかダンスとして抽きだせないか。でもいずれ、ケダゴロが事件を扱うんじゃなくて、ケダゴロそのものが事件、ムーヴメントであるような存在になるのが目標です。 小林: では、この作品によってコンテンポラリーダンスを初めて観る人たちへ、ひとこと。 下島: 犯罪者を扱ったエンターテイメントだと思ってもらっていいです。ジェットコースターやおばけ屋敷のように、そういう「怖いもの見たさ」でいいので、とにかくシンプルに観てほしい。そしてなにを感じたかを聴かせてほしいです。 (2023年1月末 オンラインにて) *トップ画像:『ビコーズカズコーズ』東京公演(2023.1)ⓒ草本利枝
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Choreographers 2022 静岡公演 ーKCA2020京都賞受賞作家・下島礼紗率いるケダゴロが、2021年に発表した傑作をリ・クリエーション。「choreographers 2022」静岡にて「完全版」を上演!
2023年3月2日(木)20:00開演(プレトーク19:00~19:45) 「ビコーズカズコーズ Because Kazcause」 |
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「地球には、重力があるらしいんよ」 この作品は、逃亡する犯罪者の身体感覚を「重力からの逃亡」と結びつけた。 1665年、物理学者アイザック・ニュートンは、ペストの流行で閉鎖された大学を去り、孤独の中で「万有引力の法則」などの大発見を次々と成し遂げた。ペスト禍を逃れて田舎に戻っていたわずか一年半の休暇中に、彼の主要な業績、及び、証明がなされたという。 我々は今、世界中どこへも逃れることはできないことを身を持って感じているだろう。 殺人犯・福田和子が、人生の中で感じた重力の歪みは如何なるものだっただろうか。--2021年初演時作品ノートより
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公演website: https://choreographers.jcdn.org/program/choreographers2022_shizuoka
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