KCA2022振付家インタビュー① 亀頭可奈恵
今、伝えたい「愛」とは何か
掲載日:2022/12/28
聞き手:文(NPO法人 DANCE BOX事務局長)
作品「愛と誠。」が生まれた経緯 文: 今回応募された作品「愛と誠。」を映像で拝見し、まるで「童話の本を開く・閉じる」ような世界観のある作品だと感じました。この作品は2021年の横浜ダンスコレクションでも上演されたんですよね? 亀頭: そうです。2021年の12月に。 文: tantanは毎年2つくらい新作を発表し続けていて、とても精力的に活動されていますが、この作品ができた経緯というか、「種」みたいなものはどこにあったんですか? 亀頭: 私が作品をつくるにあたっては、材料というのは自分以外を使うことができないんです。社会性に因んだ題材など、作品の材料をいろんな所から持ってくる方もいらっしゃいますが、私は自分の感情などからしか生み出すことができない性質。自分の感情を題材にしてしまうと、例えば一年後の感情が、一年前の自分の感情とは違っているということが多く、過去の作品を何年もそのまま上演し続けるのが難しいんですよね。 今回の「愛と誠。」という作品も、初回は2018年に上演しました。コンセプトは変わっていないし、自分が見せたいものの大枠は、自分自身の芯が変わっていない限りは変わらないものでしたが、去年の横浜ダンスコレクションに応募して選ばれ、この作品を最初から見直して実際に上演しようとした時に、コンセプトこそ変わっていないけれど、自分たちが現時点でやっていることがほぼ全て変化していたので、作品が一気にガラリと変わりました。 今回は、その横浜ダンスコレクションから一年しか経っていないので、見つめ直すことはしますが大きくは変えないつもりではいます。この作品が時間を重ねて変わっていった経緯の中で、「変わらなかったもの」というのが作品の最も核の部分になるのではないかと思うので、そこをお話ししますね。 私がこれまで女性として生きてきて、恋愛なども踏まえた上で、女友達同士で話す中で、「誠実なもの」がいちばん良い、裏切らないものがいちばん良いよね、という考えに辿り着きました。そして誠実さが大事だとすると、「隠す努力をするより、隠さない努力をして生きていきたい」ということが自分の人生のコンセプトにも上がってきました。「愛と恋の違い」について、愛は見返りを求めないという話にもなりました。 2018年に「愛と誠。」をつくる時に、“理想と現実”というテーマで舞台をやっていて、“理想”の方はオムニバスのファンタジー3本立てでつくり、“現実”の方は理論的なものを題材にして「愛と誠。」の作品としてつくろうという流れになりました。 「愛と誠。」は、最初は次のような物語としてつくっていったんです。自分が歩いていく道筋があり、その道筋からたくさんの選択肢があって、自分でどれかを選んでいく。その道筋の中にいろんなゴミが落ちていて、大きくてすごく煌びやかだけど持つと軽いものもあれば、重くて光ってないけれどしっかりしたものもあり、そちらに心が惹かれる。それが「誠実さ」だね、と。今から5〜6年前、当時22歳で大学2年か3年くらいですけど、それが当初のつくりです。
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そこから2021年に横浜ダンスコレクションで大きく変化した作品が、今回、京都コレオグラフィーアワード2022にお送りしたものです。2018年につくって3年を経て見直してみたら、「選択肢を探す」という感覚が、自分の中ですでに終わってしまっていた。数あるきれいで大きくて軽いものの中から、重いものを探していくという作業を、自分自身が実際に多くの道筋でやってみた後で、「いろんな選択肢の中で自分の人生を歩いていく」という世界観が見え切っていて、今はもう、そういうレベルじゃないという感覚になっていた。 その私が「愛と誠。」を見直した時に、私は漫画や本が非常に好きなんですが、ある漫画の中に「良い作品に出会うことについて」という短編エッセイを見つけました。「だいたいの良い作品には全て愛がある。愛があるものがどういうことかというと、まず、自分が有限なものであるということを自分で理解することだ。人は必ず死ぬし、できないことがたくさんある。それを理解した上で、自分以外のものも有限であることを許してあげなさい。そういうことができる作品は、良い作品だと言われる」と書かれているのを読み、愛って確かにそういうものかもしれないと思って、それをコンセプトに考えていったんです。 すると次に「誠実さ」という問いが生まれてきて、自分が有限であることを認め、他者にも有限であることを許すには、どうすればいいんだろうと考えてみると、自分に頑張りすぎないこと、見栄を張らないこと、人と比べないこと、という答えが出てきた。だとすると、ただシンプルに“生活していく”ことが最も誠実なのではないかと。1日1日、1秒1秒を丁寧に生きていく。作品を見ていただいたのでお分かりになると思いますが、1日を誠実に丁寧に生きていくというのが、そのままこの作品なんだという気持ちになりました。そこから今回のこの作品が始まっています。これが「愛と誠。」の核にあるコンセプトです。
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アニメーションや漫画を彷彿とさせるシーンの裏側 文: おっしゃっていた「頑張りすぎない」とか物語性というのは、この作品から見てとれました。亀頭さんのホームページを拝見したら、今までの作品は痛々しいタイトルが並んでいませんか? 「傷としお。」とか。 亀頭: 並んでいます(笑)。 文: そういうタイトルから、この「愛と誠。」へ、作家の中でどうつながるんだろう? というのが気になっていたので、今の話は興味深かったです。漫画が好きというのもポイントですね。作品を拝見した時に、良い意味でとても漫画っぽいと思いました。シーンのつくり方とか、声や擬音語、擬態語を多用していますよね。言葉にならない言葉、音声みたいな言葉、そこに伴う「まつ毛」みたいな感じの動きとか、そういうものが非常に漫画っぽいと感じたのですが、これらがtantanの特徴の一つなんでしょうか? 亀頭: 特徴だと思います。今までそういうことを分かり切らないままつくっていることが多かった。おそらく自分が未熟すぎて。 私は寺山修司さんの本をよく読むのですが、寺山さんが「何かに憧れを持つな」と言っています。憧れるとそれになろうとするから、憧れにはなれるけれど、自分にはなれなくなると。意味は分かっているつもりで、自分もそれをかっこいいと思って掲げていたけれど、自分が掲げている時点でそれは憧れになっているし、リスペクトではなくなっているということを、学生の時には理解できていなかった。 私は学生の時、振付家の川村美紀子さんにお世話になっており、ダンサーとして活動させてもらっていました。そういう人がいると、そこを目指してしまったり、その人とは違うものになりたいと思っているのに知識や経験がないと真似をするしか方法がなかったりして、過去の作品にはそれが表れていることが多く、昔の私はそこに葛藤していました。今でも川村さんから教えていただいたことは作品によく使われているんですが、少し年齢を重ねた今の私は、それをどう見るかは見ている方々の自由だと整理がつきました。「自分の好きなものに取り組む」創作を始めたのは、ちょうどその頃からです。 それからもう一つ、ゲオルギイ・グルジエフというロシアの哲学者の思想からも影響を受けていて、彼は「主観芸術と客観芸術」ということを言っているんですね。主観芸術というのは、よくありがちですが「自分はこうだ」というのを一方的に伝えて、見ている方は全然訳が分からないけれど「これがそういうものなんだね」と思うような芸術の在り方。そこでは自分が三角を見せているつもりでも、受け手によって四角や丸に受け取られもする。芸術は、えてしてそういうものが多いのかなと思います。私はどちらかというと「客観芸術」で在りたいと思っていて、自分が三角だと表現したら、受け手にも三角だと伝わるものをつくりたい。ただ、自分の技術や、受け手の受け取る力によっては、三角のものがぼやけて見えたり、すごく小さく見えたり、巨大に見えたりするかもしれませんが、三角であるというのはぶれない。それがすごく大事だと私は思っていて、そうなりたいと思っています。 |
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「分かりやすいものがいい」と言える勇気 亀頭: そうなってくると次は「分かりやすいものがいいね」と自分の中で結論が出て、自分がいつも分かったつもりで見ているものって漫画、映画、本なんです。だけど理解できないこともあり、そんな時はもう一度見返すんですよね。そしてまた2回目で見落としたものをもう一度見てやっと理解する。それに対してダンス作品は、1回見て分からなかったら、もう一度見る前に諦められてしまうことが多いんじゃないかなって。見る人が、たとえ分からない部分があったとしても、主観芸術的に「これは結局こういうことが言いたかったのかな」と自己完結してしまうんじゃないかと思うんです。そこを解消したいというのが、tantanの大事にしている所です。今回「愛と誠。」で表現がアニメーションや漫画に近いというのは、「流れを見やすいものにしたい」という理由が大きいと思います。 文: 非常によく分かります。音楽も、最初口笛で吹いて、同じメロディーを3回くらい使っていますよね。1回だけだとそれで終わってしまうのが、最後にちゃんと曲として流れる所でつながっていますし、朝が始まって、日が暮れて、電気がついて、夜になって…という流れがあることで、とても見やすく、見ている方にも物語として「森の生き物が動き出した」とか「雨が降ってきた」とか、勝手にたくさんイメージさせてもらえる。私は、この作品は子どもが見ても面白いだろうなと思いながら見ていました。 もしかすると、今コンテンポラリーダンスをやっている人たちの多くは、「分かりやすいものがいいね」と言う勇気をなかなか持てないのかもしれない。「アート」と「エンターテイメント」という括りで、アートは受け手が自由に見ることができる余白がある、対してエンターテイメントは100人いたら100人が同じものを受け取るとよく言われますが、それは先ほどおっしゃっていた「主観芸術」と「客観芸術」という概念とは少し違うレイヤーの話だと思うし、その上で「分かりやすいものがいいね」と言えることが良いし、そういう形で見てほしいという作家の思いは、作品に強く表れていると感じます。 亀頭: この作品はtantanの名刺代わりにしたくて、「子どもでも分かる」というのは頭にありました。ダンサーにも伝えていましたし。私は作品をつくる時に、映画や漫画や本、動画など、他者の創作物を使ってコミュニケーションを取ることが多いんです。これもまたある哲学者が言っていたのですが、私的言語になってしまうと、例えば私が「女の人」というキーワードを出した時に、想像する女の人のイメージは、人によって全く同じではないですよね。髪が長かったり、短かったり、体格が良かったり、華奢だったり。そういうものを共有するには、やはり絵で見たり、耳で聞いたり、他者の作品を媒介にする方法が私には使いやすい。映画を見るというリハーサルをしたりするんです。ダンサーに、短編ですが小説を宿題で読んでもらったり、みんなで映画を1つの作品につき10本以上は見ます。漫画も持っていって付箋の部分を読んでもらい、感想冊子というのを渡して書いてもらったり。それを私が見て、プリントしてみんなにも渡して、アンダーラインを引いて、という作業がダンスを踊る時間よりも多い感じです。 今回の「愛と誠。」をつくる過程では、ストップアニメーションを見ることが非常に多かったですね。「トムとジェリー」のような、言葉を使わないアニメーション。やはり子どもは言葉が分からないうちはストップアニメーションから見ていくんですよね。海外の、日本語が分からない大人にも伝えたいから擬音を使ったり。そういうことが「見やすい」につながるし、漫画やアニメっぽいという特徴にもつながると思います。そんなふうに今回はつくって行きました。
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振付家の道へ進んだきっかけ 亀頭: ええ、東京で、2歳からクラシックバレエをしていました。大学は日本女子体育大学の舞踊学専攻に。 文: 「ダンスをつくりたい」と思ったきっかけは? 亀頭: もともとダンスが全然好きじゃなくて(笑)。祖母が、ピアノか、バレエか、もう一つ何か女の子らしい習い事を紙に書いて、後ろ向きにして2歳の何も分かっていない私に選ばせたらしいんです。適当に取ったのがたまたまクラシックバレエで、この子が自分で選んだからって2歳からやらされたんですよ。でも物心もつかない頃から毎週2〜3回通わされていると、ごはんを食べたりトイレに行くのと同じものだと体が思い始めるみたいなんです。成長につれて辞めていく子もいるけれど、辞めるという選択肢を私の親は示していなくて、自分が「嫌だ」という感覚はあるけど「辞めたい」という感覚はなく、辞められるものだとも思っていなかったので、そのままバレエを続けたんですね。そして高校生になった時、みんなが将来の職業などを考え始める中で、部活動もせず、クラシックバレエしかしてこなかった私は、すがるものがバレエしかない状態に陥ったんです。だけど残念なことに、クラシックバレエがすごくできたのかっていうと全然向いていなかった(笑)。コンクールに出ても予選も通過しないし、でもやらなきゃいけないことみたいに思い込んで続けていたので、「踊りをやっていない人に比べて踊りの枠内でちょっとできる人、でも踊りの枠内ではダメな人」という位置付け。私にはこれしかない、でも踊りの中じゃ劣等生だし、何か道はないかと考えて体育大学を調べました。運動は自信があったんです。 調べる中で日本女子体育大学が出てきて、「コンテンポラリーダンス」が他の学校よりも強めにアピールされていたんですね。そこに惹かれるものを感じました。もともと私が小さい頃から好きだったのが絵を描くことで、今でも公演のフライヤーやホームページの絵は自分で描いているんですが、つまりは何かをつくることが好きだった。図画工作が好き、というのと、苦手でもやり続けてきた踊りと、運動が得意というのが結び付いた時に、コンテンポラリーダンスがピンと来た。そこからYouTubeでサシャ・ヴァルツさんなどを観ていろいろ調べて、「これは自由につくっていいんだ! 型がないんだ! こういうのをやりたい」と思い、日本女子体育大学の舞踊学専攻の先輩にもお話を聞いて、私の技術でも行けそうだということも見えてきたので受験しました。 大学に入ってからはスムーズで、自分の肌にとても合っていて、tantan創設時の6人のメンバーとも出会えましたし、川村さんをはじめ、いろいろな振付家にも出会えました。自分の選択肢の中で、自分の歩いてきた道に逆らうことなく前へ進めたのがこの大学、この道だったと思います。だから今も続けているという感じです。 文: 今の時代で良かったですよね。インターネットでいろいろ調べることができて。大学の何年生の時にtantanをつくったんですか? 亀頭: 2014年、大学2年生でつくっています。 文: 1年生からコンテンポラリーダンスを始めて、2年目でグループも組んで作品をつくっているというのは、すごい勢いですね。 亀頭: 1年生の時に分からない状態からつくってみてボロボロでした。その後に大学のイベントで、外部の振付家さんを招いて在校生がオーディションを受け、作品に出るという経験をしたんです。そこで川村さんに出会い、つくり方を隣で拝見して、ようやくなんとなく理解し始めた。私はクラシックバレエしか知らなかったので、ダンスをどうつくるのかが分からなかったのですが、外部の方の手法を見せていただき、本格的につくり始めたのはそこからです。 1・2年生の時は舞台を頻繁に見に行きメモを取ることをずっとやっていました。帰宅してから、構成を覚えている範囲で書き留める。でも、やはりプロの隣で経験させていただいてからの方が早かったですね。その機会に恵まれたのが大学2年生の時で、早い時期にめぐり会えたので私は運が良かったですし、それからも素晴らしい方々にめぐり会えているという実感があります。 文: 同じ大学に行っていても、作品や振り付けをつくりたい、いわゆる「コレオグラフィーマインド」のある人と、「ダンサーマインド」の人とがいますよね。 亀頭: そうですね。特に日本女子体育大学では「ダンスを踊りたい」という人が多いです。総合芸術系の大学では予め演劇をやっていたり、芸術に興味がある形で入学する方が多いのでつくり手が多いのですが、日本女子体育大学は高校のダンス部からダンスの道に進んだダンサーが多く、「つくる」という考えの人は比較的少ないかもしれません。 文: でも作品をつくる際には、踊ってくれるダンサーは周りにたくさんいる環境だったんですね。
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もっと多くの人に通りすがりに見てもらえるシステムを
亀頭: さらなる発展として、海外も含め、いろんな所にまずは出したいなと思っています。コンテンポラリーダンスの知識がない人や、その経験をしたことのない人たちが一般の世界の過半数だと思うので、その人たちが道を歩いているだけでパッと見られる、という状況まで行きたいと考えています。現実を動かすのにお金もかかるから助成金なども取っていく必要があるだろうし、お客様にチケット代をいただくことも必要ですが、あまり高くすると見てもらえないだろうし、そういう所が難しいなと思います。良いシステムがほしい。莫大なお金にはならなくても、ある程度ベーシックなお金の循環がほしいとは思っています。現実的ですが、夢というとそれですね。だから今取り組んでいるのは、作品を分かりやすくすること。「世の中に寄せる」ということではなく、「伝える」ということをコンセプトに、「いろんな人に見てもらえる状態の作品づくり」をしています。 文: いいですね、そのタフさが。亀頭さんは「同時代性」みたいなことは意識したことはありますか? 亀頭: 今の時代に沿おうとしたことがないんですよね。だから社会的な題材で作品をつくれないのかもしれません。脳の特性として、女性は時間・聴覚で、男性の方は空間・視覚で情報をインプットするのが得意らしいのですが、私は男性脳に近いのか、目で見る方が得意なんです。作品をつくる時も、そのシーンを1枚1枚の写真の連続のような形で見ているんですよね。アニメーションや漫画のように。前半でお話ししたことにつながるのですが、私は時間でものを見るより、空間や絵で見てしまうので、時代の流れからの作品というよりも、どちらかと言うと、個・自分・今の瞬間を感じています。自分の頭の中で生まれたものは、個・自分になってしまうことが多く、これが今の時代に沿っているのかというと、全く沿っていない可能性の方が高いと思います。 文: コラージュ的というか、ダンスよりも他者の作品を参考にして創作のきっかけにしていくというのは興味深いつくり方だなと思いました。もう一つの質問で、今、亀頭さんが届けたい「愛」とは、どんなものでしょうか? 亀頭: 私は「誰かのために」という言葉があまり好きではなくて。その理由は、その人が困っているのを見ている「自分」が辛いから、その人の何かをやってあげているという考え方を持っているからです。そうじゃないと、その人に責任を押し付けることになると思っています。 よく、生きること、死ぬことについて考えるのですが、未来は1秒先が分からないのが当たり前なので、もしかしたら明日死んでしまうこともある。未来の自分の計画を考えるよりも、今の自分をしっかり生きた方が賢いと思い始めました。そうなった時に、例えば今この場でお話ししている時に地震が起きて私が死んだとしても、プツッと命が切れるその瞬間まで「楽しかった!」と思えるように私は生きていきたい。それを自分への「愛」として与えてあげたいと思います。それが「愛と誠。」のコンセプトの全てを踏まえた上での「愛」ということですね。有限であるからこそ、未来を見ないで、今を見ることが必要だと思います。それが、自分が発信していきたい「愛」につながっています。今回の作品でも「1日」を表現するというのは、それを伝えたいから。一生を短く捉え、「今」を「1日」にして作品にしています。 文: 「今を生きる」ということですよね。そこに図らずも「同時代性」があると、私は感じています。 (2022/11/8 zoomにて) |
「世界は完璧ではありません。それでも、あなたは私を愛することができるのでしょうか。」「それはお互い様です。あなたが完璧でないように、私も完璧ではありません。あなたは、私を愛することができるのでしょうか。」「お互いを求めている時点でそれを、愛と呼ぶことはできないのでしょうか。」「それだけでは愛にはなりません。私は、私自身の不完全さを認めそして、あなたの不完全さを許しましょう。あなたも、私に同じことをしていただきたいのです。私たちは、そのようにして愛を作り上げていくのです。」「わかりました。それでしたら、私は歌います。私の愛を、あなたたちがこの場、この時にいることを、この世界として歌います。」「それでは、私たちは踊りましょう。あなたの愛に応えるように、私はあなたに踊りで愛を伝えましょう。」
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インタビュアー 文 NPO法人 DANCE BOXの事務局長。1996年、「コンテンポラリーダンス」という言葉が日本で使われ始めた頃に大阪で団体を設立。2009年から神戸を拠点に、100席の小さな劇場を運営しながらダンス公演のプロデュースや、国内ダンス留学@神戸、振付家・アーティストダンサー育成事業などを行っている。 https://db-dancebox.org/
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「KYOTO CHOREOGRAPHY AWARD 2022ー若手振付家によるダンス公演&作品を巡るディスカッションー」 Interview |