曇り空に、色をつける〜Choreographers2022 [沖縄公演] 対談企画「次代の振付家と沖縄の表現者によるダイアローグ」① 米須香音 × 仲嶺良盛(琉球古典音楽演奏家)〜

掲載日:2023/03/03

曇り空に、色をつける

聞き手・構成:小川恵祐(舞台芸術制作者 / 沖縄アーツカウンシル・プログラムオフィサー)


小川:コンテンポラリーダンスの活動のそもそものきっかけを教えていただきたいなと思います。いつ頃からやり始めたのでしょうか?

香音:きっかけって難しいんですけど、最初はバレエをやっていて、そこからコンテンポラリーダンスっていうものを知り、「私はバレエじゃないなー」ってどこかでふと思っていました。そう思いながら、コンテンポラリーのワークショップや講習会が沖縄であれば受けたりしてて、ちょっと深掘りしたいなって思ったのがきっかけで、それで一度上京してやってみようかなって思いました。

小川:バレエを始めたのは何歳ぐらいですか?

香音:バレエは3、4歳とかですかね。気づいたらやっていた、みたいな。

小川:そうして子どもの頃からずっと続けてきたのに、「バレエじゃないな」と思ってきたということですか?

香音:バレエしか知らなかったので、バレエ以外を見たくなりました。

小川:バレエから入って、コンテンポラリーダンスを知ったタイミングがあるということですか?

香音:コンテンポラリーダンスはダンスをしている人なら自然と知るかもしれませんね。

小川:今日は「YUKIMIバレエ・コンテンポラ・スクエア」という宜野湾市にあるスタジオをお借りしているんですけども、ここでずっと子どもの頃から活動してきたんですね?

香音:そうですね。母が前のスタジオにいたときから(踊りを)やっていました。母が独立して建てたのが15年前です。

小川:独立して建てたのがここということですね。いいところですね。

香音:商店とかだったんですよ、昔は。

良盛:落ち着いていてね。音めっちゃ出せそうな環境。

香音:昔は家の前を道ジュネー*1してて、我如古(がねこ)青年会エイサーが。それでレッスン中断、みたいな(笑)。沖縄ならではだと思いますけど。ここでクラシックバレエしてるのに、エイサーが!っていう。

*1 道ジュネー 沖縄の伝統行事である盆踊り「エイサー」において、先祖を供養するため旧盆に集落の道を練り歩くこと。

小川:そうなんですね。もう15年前だったら、地域の人もたくさんこちらに通われているんでしょうね。

香音:そうですね。

小川:やっぱりお母さんの影響ってすごいあるんでしょうか?

香音:あると思います。

 

©︎仲嶺良盛

 

小川:では、仲嶺さん。というか、良盛くんと呼ばせてもらいます。何度も聞かれてると思うんですけど、この琉球古典音楽という伝統芸能を始めたきっかけはなんでしたか?

良盛:本格的に始めたのは中学生のときです。12〜13歳くらいのときにコンクールがあって、父親が審査員だったから、「誰もいないし、お前やるか」みたいなのが最初でした。なので、人前で発表するとなってお稽古を始めたんですけど、小さい時から舞台の楽屋に遊びに行ってるような子だったので。父方の家族が芸能をやっていて、おじいちゃんやおばあちゃん、ひいおばあちゃんの世代からやっていました。よく舞踊の公演やお芝居がある週末の土日には遊びに行って、何もわかんないけど楽屋に入って、舞台袖から芸をみていたのが幼少期で。そのなかで踊りをたまに出させてもらうときがあって、「この人が熱で来れないから、楽屋にいるんだったら化粧して出なさい!」みたいなときもありました。

小川:子役として出た?

良盛:そう。わかんないけど舞台に出てた、みたいな。そのなかで、父親が歌三線の人だったので、そのまま歌三線を始めました。でも、踊りは特にやることはなかったですね。

小川:なるほど、おもしろいですね。でも一方で、香音さんは3〜4歳頃からバレエを始めて、 ゆくゆくはコンテンポラリーダンスと、ジャンルをどんどん拡大していくと思うんですけども、良盛くんの場合は、13歳から本格的に(芸能を)始めたということで、それまでは全然違うことをしていたんですか?

良盛:そうですね、ピアノをちょっと習ったりとか、野球少年でもありましたし、たまに芸能をやるというかんじでした。おじいちゃんおばあちゃんが小道具店、芸能関係者に小道具をリースするような仕事をやっていて。子どもの頃はよく遊びに行って、芸能の人がお酒を飲みに来てたりとか。ゆんたく(おしゃべり)していたり。

香音:すてき。

小川:「仲嶺小道具店」ですね。もう閉まってしまったんですけど、那覇の松尾?

良盛:浮島通りの方ですね。

小川:香音さんは宜野湾生まれ?

香音:そうですね。那覇に行くとしたら私の時代は新都心(おもろまち)でしたね。それか北谷か。

良盛:北谷は行ったことなかったなー!高校生の時なんか。

小川:やっぱりお二人の共通点としては年齢が近いということがありますが、その年代で芸能をやってる同じ世代とか、あるいはコンテンポラリーダンスをやってる同世代は、中高生ぐらいの時に周りにはいたんですか?それともご自身がやっていたことはあまり他の人はやっていなかったことなんでしょうか?

香音:「コンテンポラリーダンスをやっている人」と考えたら少なかったのかもしれないです。

小川:そうなんですね。では周りに踊り、ダンスをやってる人はけっこういましたか?

香音:ここ(このスタジオ)にいたかな。やっぱりそういう繋がりってできていきます。でもコンテンポラリーダンスをやっているという意識はなかったですね。

小川:以前、良盛くんから聞いたことがあってびっくりしたんですけど、伝統芸能をやっていることをあんまり周りの同級生に喋れなかったって話を聞いたことがあって。

良盛:楽屋に行くという話をしたじゃないですか。そのときは親がいたから「誰々の息子だよー」ってことで、自分を知ってもらえていたけど、でも学校に戻ったら・・・

香音:そうですね、いないですよね。

良盛:うん。そのギャップに僕はけっこうコンプレックスを感じていました。三線をやっている人もいないと思っていて、「おじいちゃん達がやるもの」と思ってました。ずっともう「僕しかいないんだな」、「他にやる若い人いないんじゃないかな」って。芸大*2に入るまではガラパゴス状態でした。

香音:芸大に入ってからはいたんですか?

*2 沖縄県立芸術大学 那覇市首里にキャンパスがある公立大学法人。国内で唯一、琉球古典芸能の専攻を設置している。

良盛:そう。誰もいないと思ったら、芸大の倍率が2倍でした。20〜30名は受けていたと思う。受験勉強もやらんでいいと思ってたのに(笑)でも、そうして受かって、当たり前だけど先輩が4年生までそれぞれいて、大学院にもいて、「こんなに同世代ですごい人たちがいるんだ」って思いました。初めて芸能の世界にも若い人がいるということを知りました。

香音:もったいないですよね。あまり知られてないんじゃないですか?年配の人がやってるっていうイメージがあるけど、もう、次の世代だし。若い人がやってるって知られたらいいのに。

小川:先ほどエイサーの話もあったんですけど、香音さんは上京される前などは沖縄で古典芸能というところに関わりがありましたか?

香音:そこまでなかったです。なんか、コラボ的に三線と合わせて前で踊るとかありましたけど、そこまで深入りはしていないというか・・・。頻繁にはやってないし、私は。でも、年を重ねるごとにどんどん興味が湧いてきました。去年沖縄は本土復帰50年で、「もっと沖縄のことを知りたいな、学びたいな」って思うようになりました。

小川:なるほど。お二人ともそれぞれの分野で活動を続けていくなかで、良盛くんはずっと沖縄が拠点です。一方で、香音さんは沖縄に生まれたけれども、今は東京でこの活動を続けていこうと思った。それはどうしてでしょうか?

香音:やっぱり東京の方がダンスの「数」がいっぱいあるので。ここにいると親も家にいるし、沖縄って助け合い精神だから、まぁなんとか生きていける。でも、自分の力で動いていかないと次に展開していかない。ダンスもいろんなのやったりしないと学びにならないなって思うので。ここに、沖縄にいても自分は成長しないなと思って上京しました。

小川:良盛くんはこれまでもずっと沖縄ですね。でも去年はアメリカで公演したり、県外に行ったり、沖縄を拠点に他の地域でも活動を展開していると思うんですけど、その点についてはどうなんでしょう?

良盛:県内だけでの活動じゃなくて、県外に活動を発展させていきたいという思いになってきています。ジャンルの越境というか、創作歌舞伎の舞台を経験したことがあって、大阪の松竹座で10日間ぐらい稽古をやって、徳島で公演しました。その時にお世話になったある歌舞伎俳優の方から、「大学卒業したら何するの?」と質問され「僕、大学院生します」って言ったら、「勉強しすぎやなぁ」と言われました。そのとき、卒業後も沖縄県内でずっと活動していくというところにちょっと不安も感じて。「上京しないの?」みたいな会話も普通にありました。「でも(琉球芸能は)沖縄が本場だしなっていう思いもありつつ・・・。でも、大阪で歌舞伎の人たちや、宝塚の人等と話していくと、これは一度上京するタイミングがあってもいいんだろうなっていうのを感じました。それでも沖縄に住んでいるっていう現状はあるんですけど、いつかは東京と大阪に拠点をもってやるというのも、たしかに夢のひとつです。

 

いろいろな足音がきこえる


小川:香音さんは今は東京在住で、逆輸入じゃないですけど、「沖縄の振付家」として今回の公演に参加されることになって、しかもその作品は「沖縄の空はいつも曇り」というタイトルです。今回の対談企画にあたって、リハーサルの映像ということですが、事前に良盛くんには香音さんの作品を見ていただきました。3月が本番なので、これからもしかしたらどんどん作品が変わっていくかもしれませんが、どうでしたか?先ほど「越境」という話もあったと思うんですけども、自分の琉球古典芸能というジャンルに軸足を置いた時に、このコンテンポラリーダンス作品がどういう風に感じられたでしょうか?

良盛:香音さんが見ている沖縄の景色はどういうものだろう、と。僕は、復帰前の1960年代の沖縄のように感じました。僕もその時代はわからないけれど、本土復帰する70年代に向かっていく慌ただしさとか、ダンスの足音がいろいろな足音が聞こえて。戦争の足音でもあるかもしれないし。沖縄の土地って、いろんな人が足を踏み入れているなって。それはこの島が「分離」してから、沖縄って島にはいろいろな人が入ってきて琉球になって、そのなかでも中国との関係があったり、ヤマトとの関係があったり、いろんな人が出入りしている。それは戦争の時も同じだったと思うし。その足音は「内地」やアメリカからの人のものだったかもしれない。背中を下にして仰向けになって歩くような振付は、沖縄の人が感じてきた世代りなのかな?宙に浮いてるような、地に足がつかない様子が表現されているのかなって。そんなふうに感じました。

香音:そういう捉え方があるのかと思いました。100人いたら100通りの多様な見方があると思いますし。私の気持ち通りに伝わる必要もないと思うので。それがすごいおもしろいことだと思うので。正解はないということが。

良盛:香音さんは、沖縄にはどんな思いがあるんでしょうか?(チラシには)「幼い頃から感じていた<沖縄の空気>、、ずっとどこかで感じていた暗くてじめっとしている根本の部分」って書いてあって、とても興味深いなって。

香音:私は沖縄は、なんとなくオープンなように見えて、そんなにオープンじゃないというか。島社会だし。一回仲良くなれば誰でもウェルカムですけど、けっこう壁があったりするんですよね。わりと人見知りが多いし、言葉足らずな人も多い。うまく言葉で説明できないですけど、なんとなくそう感じます。暗いとこあるよなぁって。人気じゃないですか?沖縄って。観光客も多いし。でも実際は暗い部分もあって。

良盛:分かる気がする。

香音:5年以上前に、那覇の栄町市場に行ったとき、絶対この子は学校に行ってないだろうなって子がいて。あそこってまあディープですよね。中学生か高校生のグレたのかなって男の子が一人で座ってて。20歳くらいのときかな。その景色の記憶が、今回の作品の構想にも影響されていると思います。

©︎米須香音

 

小川:「ヤマトの世から、アメリカ世」のような複雑な歴史もありながら、それでも琉球芸能という、どっぷり沖縄の伝統をやってる立場としては、沖縄についてどういう思いがありますか?

良盛:芸能家の立場というか、一人のウチナーンチュとしては、たとえば正論が出たときに、こっちの方が正義なんだけど、そうじゃないやり方の方が良くなる方法があって、でもその正論が外から持ち出されてきたときに、僕もそうだけど、笑いながら「いいよー」って言うんだけど、心は曇ってるなって。「仕方ないよ」というのがよくあるなあと。あまり(話題を)絡めたくないですけど、たとえば基地があったりとか・・・。あるじゃん?分からないけども、それも受け入れている「沖縄」っていう土地は、曇ってるのかな?それは(この作品に)関連させない方がいいのかなと思いつつ・・・。

小川:でも、もし一人の古典芸能家として考えるのであれば、それも含めて琉球芸能はこれまで伝承されてきたわけですよね。良盛くんの企画出演する舞台をこれまで見てきた身として感じるのは、公演の時に必ず「これは1700年代に玉城朝薫がつくった、琉球王国時代の音楽です」とか、「これは雑踊という、琉球処分の後に生まれた芸能です」というように、歴史的背景の解説がいつもあるのが特徴だと思っています。それをふまえると、その作品自体は「曇り」なんでしょうか?実は作品自体は複雑な歴史があっても、それでも「元気が出る」とか、「ノスタルジックな気持ちになる」とか、そういう印象が琉球芸能にはあると思うんです。それでも、沖縄の複雑な歴史を解説で伝えているのは、どういう心境なんでしょうか?それとも、純粋に沖縄の文化や歴史を知ってほしいと思ってのことなんでしょうか?

良盛:純粋に知って欲しいという思いで解説をしていますね。時代によって音楽性も全然違うので。ただ三線を聞くだけだと、一緒くたに「沖縄の芸能」としか思えないかもしれないですけど、ちょっとでも解説があると、(観客の)見えてくる景色が違ってくるんじゃないかなと思うんですよね。

小川:それは今回の香音さんの作品とも共通しているんではないでしょうか。沖縄の空っていつも青空じゃないの?という外からの印象を逆手に取ったタイトルですよね。でも、本当は沖縄ってグラデーションがあるんですよって示すこともできると思うんです。

香音:このタイトルからすると、一見マイナスな印象になるんですけど、でも、素晴らしいんだよ、沖縄!と思っています。この作品の創作を通して頻繁に沖縄に帰るようになって、さらに強く思っていますね。沖縄ってめっちゃいいなあって。

見た人みんながそれぞれの色を付けていくんじゃないか


小川:良盛くんはこの今回の香音さんの作品がなはーとで上演されると、沖縄の人はどう思うと想像できますか?たとえば、「四つ竹」の音楽を通常とは全く違う振付でやっているわけですけど、それを知っている人はとても驚くんじゃないかと思います。良盛くんにとって、「四つ竹」とはどういう作品ですか?

良盛:僕らにとっては祝儀舞踊。幕開けとか。歌詞は華やかなものですね。四つ竹を鳴らして楽しみましょう、と。

香音:そうなんだ。

良盛:曲名は「踊りこはでさ節」。「こはでさ」っていうのが、木の名前ですよね。僕らは華やかなイメージでしか使わないから。でも、(香音さんの作品は)まだ色の付いていない踊りに見えた。僕らは真っ赤な花笠を着けて、紅型衣装でやるんですけど、(香音さんの)本番の衣装はまだ見てないですけど、曇り空のようなグレーの衣装に、見た人みんながそれぞれの色を付けていくんじゃないかと思います。 沖縄の人は、沖縄に暮らしてて自分が曇り空の心を持っているということを、もしかしたら分かっていないかもしれないと思うんです。もしかしたらそれはノーテンキなところもあるけど、実はすごいトラウマがあって、それを隠してるのかもしれない。

香音:そういうのもこの作品にあるかもしれないです。

良盛:だからこの作品を見る人は、自分の心の中にあるなんかモヤッとしたところに響くんじゃないかな。僕の場合だと、最初に話した足音がそう。国際通りの雑多な足音にも聞こえたし、おじいちゃんのお店に出入りしていた役者たちの足音にも聞こえた。

小川:琉球芸能は足音が大事かもしれないですね。「四つ竹」で言えば、すり足だから足音が無い、無音。良盛くんだからこその着眼点ですね。

良盛:そうなのかな。僕がそこに注目し過ぎてるだけかもしれない。

香音:この「四つ竹」の音楽で、出演者全員が集合する振付をつくっていて、その時強い色になるのかなと思います。だけど最終的にはやっぱり曇りたいので、明るくなり過ぎないように音楽をちょっと重ねているんですよ。ピアノの音とか入れて、わざと曖昧な感じにしているかも。

小川:最後に、今後の活動の展望ということで、ご自身のことでもいいし、これからの琉球古典音楽、伝統芸能はどうなっていくでしょうか?

良盛:去年、本土復帰50年で、29歳になって。50年後、どうなっていくんだろう?僕は芸大で学ばせてもらってたし、国立劇場おきなわの恩恵も受けさせてもらって、今こうやって演奏できている。けど、父親世代の60年代生まれとか、祖父のような戦前生まれの世代を思うと、琉球の芸能はいろんな場所でいろんな時代のものがあったなっていうのを振り返ることができます。そうして、復帰の時代に組踊が無形文化財に指定された。だから、僕らは未来をしっかり作るという意識です。それと同時に、戦後、復帰後といろんな先生がいるところを丁寧に継承していかないといけないなと思う。未来がすごい見えてるので、盛り上がる未来が。上の世代も下の世代もいて盛り上がる中で、先生方の技を受け継がないといけない。しっかり地に足つけて、頑張りたいなと考えています。

小川:そういう琉球芸能の明るい未来には、コラボということじゃなくて、「振付家」となにか連帯する、あるいは共有できるところってありますか?

良盛:琉球舞踊は下手から出て下手にハケるというのが基本なんですけど、そうじゃない新しいやり方があるんじゃないか。音楽の立場からも、新しい表現があるかもしれない。それを香音さんのようなコンテンポラリーダンスの作品を見させてもらいながら勉強させてもらいつつ、いつか一緒に作品がつくれる時が来たら、とても嬉しいなあと思います。

小川:香音さんはいかがですか?

香音:今は東京にいますけど、沖縄に生まれたというアイデンティティを軸に、これからいろいろ踊って、作品をつくっていきたいなって思いますね。やっぱり沖縄という存在、というか自分自身がそうなので、そこが一番の強みだし、そこがなくなると自分じゃなくなるなって思うので。それがある状態で、どこに行っても、その沖縄という部分が消えない、自分の中にある状態で、今後活動していきたいなって思います。それがたぶん自分の強さにつながってくるし、自分の助けになってくると思います。

小川:琉球芸能と今後連帯する、あるいは何かインスピレーションを得るとか、そういう可能性はありますか?

香音:ジャンルは全く違うものなんですけど、表現という面では一緒だと思うんですよ。表現者という面では同じなので、そういう共通の部分はあるから、何か一緒にできたらいいなとも思うし、それはきっと沖縄と沖縄でやった方がいいと思うんですよ、私は。「内地」と沖縄、じゃなくて、沖縄でやってる人たちでやるというのが、強みだと思っています。

右:仲嶺良盛、中央:米須香音、左:小川(進行)

 

 

米須 香音 Kanon KOMESU

4歳からバレエを始め、地元沖縄にてバレエ講師を務める。上京後、コンテンポラリーダンスをChiChiに師事。コンテンポラリーダンスを中心に様々なジャンルのダンスを学ぶ。現代社会のリアルと踊りが共存していくことを目指して、日々葛藤中。

https://choreographers.jcdn.org/artist/1496

 

仲嶺 良盛 Yoshimori NAKAMINE

琉球古典音楽安冨祖流絃聲会師範。仲嶺伸吾に師事。沖縄県立芸術大学大学院修了。国立劇場おきなわ組踊研修修了生。2022年7月より沖縄伝統組踊「子の会」会長に就任し、県内外で組踊をはじめとする沖縄の伝統芸能の普及発信に取組んでいる。

Instagram: @yoshimori_nakamine

 

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