Report/Survey
振付家・ダンサー
本企画において多様な背景を持つ振付家・ダンサー等と話す中で、芸術における未熟・成熟、人間同士の健全なコミュニケーションの難しさ、それでも何とか伝え合おうとする人間の愚かさ、且つその美しさといった様々な人生の本質的課題のようなものを実感し、その上で自分がどうしていきたいのか考えざるを得なくなった。
実感した課題の一つには、年齢や経験の差によって生じるヒエラルキーの問題があった。それは、年齢や経験値が高い者がそうではない者に対してアドバイスや意見を述べる状況において生じるある種の暴力に関することだ。経験豊富な人々は、多様な技術・知識を持ち、芸術及び人生全般における様々な「正解」を既に知っている。すると、自分自身そのものを手放しで開示しなくとも、いくらでも、例えば「芸術とはこうあるべきだ」というような、制度に守られた安全な立場から話すことができてしまう。
しかし、人間が様々な個人的、社会的問題と生身で格闘し思考し続けることで芸術が発展してきた歴史を思い返せば、「こうあるべき」という言い方だけで相手を問いただそうとすることが芸術的本質と解離していることは明らかだ。結局、そうしたことを言う側が、言われる側と同じくらいに手放しで自己開示をし、技術・知識で誤魔化せない部分を世界に対してさらけ出さなければ健全なコミュニケーションは成立しない。
逆に、言われる側は、言語化能力や表現力がどれだけ未熟であっても、今この瞬間の自分自身というものから逃げずに全力で存在しようとしなければ、その人にしかない豊かさは既存の芸術の枠組みにあっという間に吸収され、分類され、独自の言語化不可能な素晴らしさは失われてしまうだろう。
このようなコミュニケーションの問題に改めて出会い、自分自身が芸術表現をおこなうことがいかなる営みであるのか再考した結果、自分の姿を世界にさらけ出していくことへの強い必然性を自覚できた。