Report/Survey
震災がまだ続いていた。街のいたるところ、建物ほぼ全てに津波到達地点の表記、道路標識の浸水区域ここからここまで、これより下に家を建てるなという石碑。この地で生きるということが東日本だけではなく、その前のチリ津波などからずっとずっと続いていた。郷土芸能も地区ごとに本当に地区ごと集落で何個も芸能があって、それを継承していって。なんかもう私なんかと生きる理由が全然違った。生きていた。大船渡に降り立った時、めちゃくちゃ広い芝生、道路が広がっている街で、それが田舎だから田んぼ道的な感じで広大な地だなとだけ思っていた。全然そんなんじゃなかった。全部流されてしまって、山から土を持ってきて1Om埋め立てた地だった。それを聞いてからはなんだかもう全然景色が違って見えて。ホテルに置いてあった『あの大船渡/あの陸前高田』という本を読んだら以前の景色が見えてきて。震災当日、幼かったことを理由に見ないでいた景色があって、なんて言ったらいいのか分からない申し訳ないとは違うそうか、そうかとひたすら思って過ごした。みんなそれぞれ思うことがあって経験があって。堤防を建てて海の見えない暮らしに賛成反対、海抜の低い元の地区に住むか山の上に住むかの分断、まだ見つかっていない方がやっぱりまだどこかで生きていると思っていたい、でも見つけたい、どの気持ちも誰が正しいなんてなくって。だから押し付け合うことができない優しさと葛藤があって。でもみんな生きていて。生きていた。踊るべき生きるべき理由を見つけたい。見つけたいというかうんなんにもないんだ。沢山考えた私と空っぽの私がいる。
今回、私は初めて東北に行きました。郷土芸能を学びに行き、踊りの技術、心持ち的にも学ぶことは多かったのですが、なにより震災の記憶が結びついているお話を伺うことが多くとても印象に残っています。私たちを受け入れてくださったみなさんに感謝申し上げます。