KCA2024振付家インタビュー⑥ 豊田ゆり佳
振付家とダンサーの関係性を検証し、誰にも予想できない状況を作り出す

掲載日:2025/02/05

聞き手:林慶一(制作者/KCA2024書類選考委員)
インタビュー実施日:2024年12月18日(水)※オンライン実施
編集:京都コレオグラフィーアワード事務局

 

バレエからコンテンポラリーダンスへ

林: まず、豊田さんの今に至る活動の来歴を教えてください。

豊田: はい、クラシックバレエを4歳から始め、小学3年生の頃からはスターダンサーズ・バレエ団付属のスクールに通いました。立教大学に進学した後も、3年生ぐらいまではレッスンに通ったりしてやっていて、20年くらいずっと続けました。それが一番のルーツというか、自分の根本を作っています。

小さい頃からジョージ・バランシン※1やウィリアム・フォーサイス※2の作品を見る機会があって、ローザンヌ国際バレエコンクール※3を見るのが好きでした。最初にコンテンポラリーダンスにちゃんと触れたのは、中学、高校の頃に見たローザンヌでのコンテンポラリーダンスの部門で、振付家がコンクール用に数分にまとめた形式が好きでした。すごくいいところが詰まっている感じがして、それを繰り返し見ていました。

林: 立教大学に進学する段階でコンテンポラリーダンスに関心があったのですか?

豊田: 高校3年生の頃は、バレエダンサーになりたいと思っていたんですが、親には大学は4年制の一般大学に行っておきなさいと言われました。それで、一般大学で身体の表現をできるところを探して、立教の映像身体(立教大学現代心理学部映像身体学科)が出てきて。たまたま指定校推薦の枠が自分の年から入ることになり、他にその学科に興味がある人もなく、すんなりと進むことができました。踊りたい気持ちが強くて、バレエにつながってコンテンポラリーダンスができたらいいな、みたいに思っていました。(立教大学に)入ってから、コンテンポラリーダンス・サークルがあることを知って、入りました。

林: そのサークルでは、どんなコンテンポラリーダンスをやっていたんですか?

豊田: あんまりアカデミックな感じではなく、本当に人それぞれで。2年生になるとオリジナルの作品を創るっていうのが、サークルのルールでした。私はもともと作品に出るみたいなスタンスで入ったんですけど、2年生で創ることになって、そこから作品を創り始めたっていう感じですね。

 

バレエを踊っていた頃

大学時代に受けた影響

林: 立教の映像身体学科で、砂連尾理さん※4と出会ったわけですが、それは豊田さんのアーティストとしての自意識にどのような影響を及ぼしましたか?

豊田: すごく影響を受けていると思います。砂連尾さんが立教に来たのが、私が大学2年生の時で、ちょうど作品創りを始めた頃でした。あと、今はもう(立教大学では)教えられていないんですが、ダンス研究の越智雄磨さんの授業を受けて、そこからいろいろなつながりが持てるようになったり。大学2年生の時に、コンテンポラリーダンスのいろいろなことが自分の中で起こった感じではありました。

大学3年生の時に砂連尾さんのゼミの課外活動として、画家で作家の瀬尾夏美さんと映像作家の小森はるかさん、砂連尾さんがやっていた「東京スーダラ 2019」※5に参加しました。2019年に、(翌年の)東京オリンピックまでの流れを振り返ろうというプロジェクトで、一般公募の参加者にゼミ生が加わって、1年くらいかけてワークショップなどをやりました。震災や家族といった4つのテーマを1つの流れにして最終発表で見せたんですけど、砂連尾さんがディレクションをしているのか、していないのかわからないような状態がずっとありました。仕切っている人がいない、最後まであんまり決めきらずに、本番をやるみたいな感じでした。それが狙いだったのかもしれませんが、見たことのないクリエーションの状況で、すごくおもしろくて。私はバレエから入っているので、すべてをかっちり決めてやる作品しか見たことがなかったんですが、こんなに緩くても作品は創れるんだって思いました、いい意味で。その作品に影響を受けましたね。

林: その「緩さ」にひかれたのはなぜだったのでしょう?

豊田: 参加者もちゃんとクリエーションに関わっている感じがすごくありました、主体的に。仕切っている人がその場をどんどん決めていくような流れが普通だけど、そこでは本当にワークショップ的に、総合的な関わりを大事にして作品ができていっていました。

林: なるほど。では、豊田さんの創作には具体的にどのように反映されていったんでしょうか?

豊田: 「東京スーダラ」に影響を受けて、学部の卒業制作では「振付をしない」みたいなことをしました。今の作品にもつながっているんですけど、振付家とダンサーのヒエラルキーみたいなことが気になっていました。3、4年生になると自分が作品を創ることの方が多くなっていて、どちらかというと振付家のような立場が多くなってきました。その中で、指示することに対しての、一方向すぎる部分を感じていて。でも、ダンサーは従うしかないという気持ちもあったりして。そこの関係性を探るということを、学部の時はやろうとしていました。

卒業して芸大(東京藝術大学)に入ったんですけど、コロナの影響がすごくあったので、コロナ禍で人と人が接触できないもどかしさみたいなことを作品にしたりしていました。テーマがコロコロ変わったりもしていたんですが……。でも、最近やっていること、卒業制作で今取り組んでいること、そしてKCAに出す「籠#3」の作品も、やっぱり振付家とダンサーの関係性、指示する、されることのコミュニケーションみたいなことに、興味が戻ってきています。

 

「東京スーダラ 2019」でのパフォーマンスの様子

「籠」シリーズについて

林: 「籠」という作品シリーズについて教えてください。

豊田: 「籠」はこれまで2回やっていて、KCAでやるのが3回目です。1回目(2019年)から2回目(2022年)でちょっと変わったりしているんですけど、大まかなコンセプトは、音楽と身体表現を別のこととしてとらえて、まったく違う流れを同時進行で流すということです。本当は音楽と身体表現は関係ないんだけど、それを同時に流すことで交わる部分があったり、なかったりといったことをひたすら探る作品です。身体表現に関しては、振付をちゃんと決めているところもあれば、ダンサーが即興でやっているところもあります。KCAでやるバージョン「籠#3」は、10分間の振付を3回反復するんですけど、反復することで振付と即興の部分がお客さんに明確に見えてくる、という意図でやっています。そういう作品です。

林: 音楽と身体表現の同期性を断ち切る試みといえば、ジョン・ケージ※6やマース・カニングハム※7のアプローチが思い浮かびます。参照していますか?

豊田: ダンスの文脈から取っているわけではなくて、自分の経験上で感じたことを取り入れている感じです。最初に創ったのは、立教にいた時でした。コンテンポラリーダンス・サークルでは、公演がオムニバス形式でどんどん続いていくんですが、転換とかいろんな都合で無音の作品が作れない、音楽を使わないといけないという環境だったんです。でも、自分は無音がやりたくて。サークルでは、邦楽とか、歌詞の意味が強い音楽を使ったりしていて、音楽自体が強い上に身体表現を載せているような作品もありました。(そういう作品を見て)舞台上で優位にあるのが音楽なのではないか、身体表現を優位にするにはどうしたらいいんだろうって思いました。無音でやることが選択肢としてあったのですが、音楽を使わないといけないとなった時に、別ベクトルとして「音楽は関係ありません」って言いながら流す、そこにどれだけの同期性や非同期性があるのかどうか、そういうことが気になって創りました。

林: 従来の舞踊芸術においては音楽的主題を舞踊表現によって立体化するという、いわば舞台音楽と身体表現に主従関係があった。クラシックバレエはその分かりやすい例です。豊田さんが「無音でやりたかった」というのも、そういったダンスの約束ごとを打破する試みなのかなと思いました。では豊田さんの試みにおいて、舞台上で音楽が優位にあることをひっくり返そうとした時、音楽から自由になったダンス、パフォーマンスというものは、いったいどこに向かうのでしょうか?

豊田: 2021年頃に、レクチャーパフォーマンスの作品を創り、自分のダンス観を言葉でちゃんと伝えることをしました。その時に考えていたのは、日常の中に出てくるダンス、ダンス性みたいなことです。人に共有できないかもしれないけれど、自分がこれはダンスだと思ったことを、ひたすらレクチャーパフォーマンスでダンス経験のない人が私の代わりにしゃべるっていう作品でした。木の葉っぱが揺れているところ、風に飛ばされているところが多いんですが、日常の中で見える揺れみたいなのを取り上げて、「これはダンスだと思います」ということをひたすら言っていました。そういう部分とつながっている気がします。

 

 

大学のコンテンポラリーダンス・サークルでの活動の様子

作品が作者の手を離れていくこと

林: そうした豊田さんのダンス観があって、作品と言う枠組みを設けて他者が介在するとき、その他者に対してダンスということをどう取り組むように仕掛けているのか、あるいはまったく仕掛けないのか。作家と演者、パフォーマーのヒエラルキーが解体されて、先ほど話されていたようにパフォーマーや参加者の主体性によってニュートラルな関係が作家とパフォーマーの間に生まれる、そういう状況を自分の作品で創りたいのか。作家とパフォーマーの関係性に関して、どういう切り口を見つけたいと考えていますか?

豊田: そうですね。これは理想論で、「籠」の作品とも違うんですが、最近考えているのは、作者という存在がどこかに行く、作品が作者の手からどんどん離れていくみたいなことです。だから、人と関わりながら作品を作っていて、自分の作品が人の手に委ねられ、その上でどんどん自分の考えを超えるような偶然性、ハプニングがどんどん起こっていくようなことを理想としていると思います。今は私がコミュニケーションをとりながら出演者とやっているけれど、次第に作者の視点、作者の存在がなくなっていって、別のものになっていくみたいなことです。それでも、根本の作者の考えや軸みたいなものは変わらないまま、誰かの手に作品がどんどん渡っていくっていうのが、理想なのかもしれない。その上で他者と関わるっていうのが大事かなと思います。

林: 「籠」はそうではないんですか?

豊田: 「籠」の2回目にやろうとしていたのは、それだったんですが、3回目にどうなるかはわからなくて。2回目でもやろうとしてできなかったことを3回目でやろうとしていて、それが音響の人も出演してもらい、舞台上で音を作るということです。まだ試行中なんですが、音楽の人がどれだけダンサーとの接点を持つか。音楽と身体表現は別なので、音楽とダンサーは本当は(互いに)見えてはいけないんですけど、お客さんには音楽の人が見えるようにして、ダンサーには見えないっていう構造を今作ろうとしていて。無関係であることが視覚的に表せるようにしようと思っています。そこからどれだけ二者間の何かを作るか、作らないのかみたいなことを今考えている段階です。

 

「籠#1」(2019年)

 

作者であること、その責任

林: 作品が内包する作者と演者の権力関係を解体することに、今どのような意義があると豊田さんは考えていますか?

豊田: ちょっとずれてしまうかもしれませんが……。自分も他の人の作品にパフォーマーとして出る機会があり、バレエの経験もあるのですが、振付家である自分とダンサーである自分がすごく違うと思っています。でも、他のダンスの人と話していると、その境目が見えづらかったり、あまり区別してない人もいたりして、それに対しての疑問を自分は持っています。踊る延長で作品を創っているような人もいると思うんですが、それが自分は不思議で、そこに対する問題提起も(この作品に)入っています。

林: 「ダンサー」なのか「振付家」なのか、もっと自覚的であるべきだと?

豊田: そうですね。違うということがはっきりわかっていた方がいいんじゃないか、という思考なのかもしれません。

林: では、作品における振付家、あるいは作者という上演主体の責任を、「籠」において、豊田さんはどのように考えていますか?

豊田: そうですね。「私が責任をもちます」という意思表示として、毎回私が最初に出てきます。創り手にも踊り手にも、どちらにも責任はあると思うんですけど、作品を発表する上での責任みたいなものがすごくあって。でも、(上演中に)責任が押し倒されるような状況が起こる。誰かに責任転嫁したいわけではないですけど、責任は結局誰にあるのかということに興味があり、探っているところです。作品が人の手に渡っていった時に、責任がどうなっていくのかっていうのが、気になる。でも、私の作品は基本的に「自分がすべて責任を取るので演者は自由にやってください」っていうスタンスでいつも創っています。

林: 一般論として、責任主体と評価の対象は表裏一体だと思います。そういった構造自体も、豊田さんは撹乱しようとしているんでしょうか。そういう意図はありますか?

豊田: そうですね。やっぱり問題として、実際はダンサーが創っているのに、でもそれはすべて振付家のクレジットになっている人が評価されるという状況は、私の作品以外でもあると思います。それもある種変な構造であるよう気がしていて、そこに対しての疑問はありますね。一方で、即興と言っているけれども、大部分を誰かに作ってもらっているようなこともあります。ダンサーに委ねるっていうことも、危ういことであるような気はしています。そういう責任というか、誰が創っているのか、誰が評価されているのかということは、考えてはいます。

 

「籠#2」(2022年)

偶然性が生まれる状況

林: 先ほど、作者の手から作品が離れていくが、作品のテーマは保持され続けていくということを言われていました。では、「籠」においての軸になるテーマは、何でしょうか? 作品の構造について、音楽と身体表現の非同期ということはお聞きしましたが、それ以外にもあるんですか?

豊田: 偶然性を担保しつつ、作品の中でドキドキ、ハラハラしている状況が作りたくて。「籠」の2回目の時に、上演とは別でクリエーションの過程を映像に記録しました。振付家の自分がどう指示しているか、ダンサーがどう受け答えしているかを全部記録して、「振付家豊田ゆり佳の実態」っていうタイトルの映像を撮ったんです。それがダンサーに影響を与えちゃって、そこから意図せず自然と崩れていったということがありました。その時は、ものすごい緊張感がありました。今お話ししたような、上演の中で意図せず自然と崩れていったことがあり、これから何が起こるのかといったことに対しての、ハラハラ、ドキドキ、みたいな緊張感です。なんかそれは、舞台上にいる演者の側も、お客さん側も同じだったみたいです。そういう状況を作品の中で作り出したい、仕掛けたい、そういう意図があります。そこまで行けたらいいなっていう感じですね。誰も予想できないということを、本当に実行するということが目的かもしれません。

ただ、3回目で同じように何か出せるのかがちょっとまだわからなくて。前回とは違う形で何か提示できたらとは思っているんですが、失敗する可能性もあると思っています。そこが未知のまま私はやりたいっていう気持ちが強い。だから、どうなるかを伝えられないんですが、自分としてはそういうことを考えています。

 

※1 1904年~1983年。バレエダンサー、振付家。ロシア出身で、亡命後にアメリカに渡り、ニューヨーク・シティ・バレエ団を創設。

※2 アメリカ出身のダンサー、振付家。ドイツのシュトゥットガルト・バレエ団、フランクフルト・バレエ団で長らく活躍した後、ザ・フォーサイス・カンパニーを設立。現在も世界中で活動している。

※3 スイスのローザンヌで毎年行われ、若手ダンサーの登竜門として知られる。

※4 ダンサー、振付家。立教大学現代心理学部映像身体学科で教授を務める。
https://choreographers.jcdn.org/artist/osamu-jareo

※5 展覧会「東京スーダラ2019―希望のうたと舞いをつくる」(2020年01月25日~2020年02月16日 会場:世田谷文化生活情報センター 生活工房)
https://www.setagaya-ldc.net/program/476/

※6 1912年~1992年。アメリカの音楽家・作曲家・詩人。前衛的な実験音楽で知られる。

※7 1919年~2009年。アメリカのダンサー、振付家。ジョン・ケージとは長年にわたってコラボレーションを行った。

 

KYOTO CHOREOGRAPHY AWARD 2024
-若手振付家によるダンス公演&作品を巡るディスカッション-
2025年2月23日(日) 18:00開演・ 24日(月祝)15:00開演
会場:京都府立府民ホールALTI
https://choreographers.jcdn.org/program/kca24

豊田ゆり佳(東京)
「籠#3」
振付・出演:豊田ゆり佳
出演:岩田奈津季、柴田桜子、中川鈴音、渡部恭子
音楽:酒井風
初演:2019年(立教大学新座キャンパス)
※2月23日(日)上演

 

林慶一(ハヤシケイイチ)
2006年より小劇場die pratzeにスタッフとして参加。小屋番をやりながら、2005年~2015年は絶叫行為をテーマにしたパフォーマンス活動を展開。2012年より「ダンスがみたい!」実行委員会代表。同年、d-倉庫 制作。アーツカウンシル東京 平成29年度アーツアカデミー事業 調査研究員(舞踊分野)。他、2019年「放課後ダイバーシティ・ダンス」、2021年「未来の踊りのためのプログラム」、2023年「かつてなく自由にダンスを名乗るための煙が立つ会」の企画。2022年よりフリーランスに転向。

「籠#2」(2022年)

 

Interviewee

インタビュイー

豊田ゆり佳
Eureka Toyoda

1999年生まれ。4歳よりクラシックバレエを始める。2021年 立教大学現代心理学部映像身体学科(砂連尾理研究室)卒業。東京藝術大学美術研究科先端芸術表現専攻在籍(西原珉研究室所属)。2021年10月 先端芸術表現専攻ATLAS展にて「contact」で四方幸子賞受賞。2023年パ…続きを見る