KCA2024振付家インタビュー⑤ 宮悠介
ダンスの「かたち」を超えて
掲載日:2025/01/31
聞き手:文(NPO法人DANCE BOX事務局長/KCA2024書類選考委員)
インタビュー実施日:2024年12月18日(水)※オンライン実施
編集:京都コレオグラフィーアワード事務局

高校ダンス部と大学での経験 文: まず、定番ですが、ダンスを始めたきっかけから聞かせてもらえますか? 宮: はい。新潟県出身なんですけど、通っていた中高一貫校で高校に上がる際、ダンス部に当時好きな女の子がいたので、新入生歓迎公演を見に行きました。女子しかいない部だったので入れると思っていなかったんですが、顧問の先生から声を掛けられ、まんざらでもなくて、入っちゃったというのがきっかけです。 文: ということは、そのダンス部で男子第1号ですか? 宮: そうだったんですけど、ちょっと怖くて、山田暁くんという男の子に「一緒に入ろうぜ」って言って。暁くんは正直初めは乗り気ではなかったんですが、僕に付き合ってくれて、2人で初の男子部員になりました。その暁くんは、今もダンスを続けていて、振付家の鈴木ユキオさんのYUKIO SUZUKI projectsでカンパニーダンサーとしで踊っていたり、今回の「かたちたち」の初演にも出演してもらいました。僕のよこしまな動機で引っ張り込んだのにも関わらず、暁くんが今もコンテンポラリーダンスの世界で活躍されていて、感慨深く思っています。 文: そこでダンス部に入って、ずっとダンスを続けてきたというのは、何かダンスのおもしろさみたいなものがあったんですか? 宮: そうですね。新入生歓迎公演ではカッコいいジャズヒップポップ系だったんですけど、5月になったら急に(バレエの)バーレッスンが始まって、ちょっとおかしいぞって(笑)。その後、神戸でのAJDF(全日本高校・大学ダンスフェスティバル)の創作ダンスの大会に出るようになって、創作ダンスっておもしろいなって思うようになりました。自分たちでテーマを決めていろんなことを工夫して考えたりすることがすごく楽しくて、魅了され、高校が終わるころには自分の進路はダンスが関わってほしいと思うようになりました。 文: では、大学に入る頃から、将来はダンスでやっていこうという思いがあったんですか? 宮: そうですね。将来の解像度はまったくなかったんですが、とにかくダンスに関わりたいという気持ちでした。恩師が筑波大学出身だったこと、それから神戸の大会の大学部門に筑波大が出場していたこともあって、とにかく行ったらダンスが続くという気持ちで、筑波大に行きました。 文: 先生との出会いが大きかったんですね。先ほどから、お話しの中に神戸がよく出てきて、神戸に住んでいる身としてはすごくうれしくお聞きしています。 宮: 神戸には15歳の時から毎夏行っていました。 文: なるほど。筑波大でもずっと踊られて、卒業後もそのままダンスを続けていかれたんですね。 宮: そうですね、はい。 文: その時期に、振付家の鈴木ユキオさんに出会って影響を受けたと聞きました。 宮: 山田暁くんが大学生の時に鈴木ユキオさんのカンパニーメンバーになり、ユキオさんのことをいろいろ聞いて、僕もユキオさんの作品に出させてもらう機会がありました。卒業後も本格的にダンスを続けていこうと考えていた時に、どこのダンスカンパニーにも入れなくて落ち込んでいた僕に「一緒に踊りませんか」と声を掛けてくださりました。シビウ国際演劇祭(ルーマニア)にも連れていってくださり、本当にお世話になりました。ユキオさんの、身体にまつわる態度や考え方、向き合い方みたいなものをすごくリスペクトして、勝手に影響を受けています。
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作品を創り始めた頃 文: 大学を卒業する時点では、もう作品を創り始めていたんですか? 宮: そうですね。在学中は、大学の部活動の一環で共作の機会はありましたけど、自分のクレジットで創作したり上演したりすることはあまり経験がありませんでした。自信がないというか、怖いなっていう気持ちが強かったような記憶があります。ただ、大学を出るタイミングで、いろいろ悩んだんですけど、やっぱりダンスだって思い、何かひとつチャレンジしようと、自分の「宮悠介」という名前で初めて学外で、一般の場で上演したのが「かたち」という作品です※1。その「かたち」という作品が映像資料として残っている状態で、卒業して東京に住み始めました。 文: それが「ヨコハマダンスコレクション2022」で受賞された作品で、その時はご自身が踊られるソロ作品だったんですよね? 宮: はい、そうです。 文: その作品でも、「かたちたち」と同じように自分のことをテキストにしていたんですか? 宮: はい。まさに今、このインタビューで聞いていただいているようなことを独白しながら踊るという作品でした。
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「かたち」から「かたちたち」へ 文: 自作自演で踊ることと、今回上演される「かたちたち」で自分ではない2人に振り付けるということは、やはり違う作業になりますよね。なぜ2人の作品にしてみようと思われたんでしょうか? 宮: 作家としての経験が浅いこともあり、他者の身体を扱うことや、振付としての形を決めることに自信がなく、自分の人生を捧げないと作品としての質を担保できない、全部出し切っている様子を見せる、あるいは形に残らないようなエネルギー体になって、お客様に体当たりするしかないという気持ちで、「かたち」を創作しました。 ただ、上演を重ねるにつれて、「あなたのやっていることは振付じゃない」とか、「後世に残らないから作品とは言えない」などの言葉をいただくことがありました。「かたち」を上演することはできていましたが、作品の枠組みについて、いろいろな人の言葉から考えさせられる機会があり、それだったら人の人生を、人の形、振付を本当の意味で作品化することに向き合ってみようって思って、デュオの作品に挑戦しました。 文: 自分のことを自分で話すソロ作品から始まっているのに、「かたちたち」では、デュオの相手が自分のことを話しますね。そうしようと思ったのには、何か意図がありますか? 宮: オリジナルの「かたち」からの作品のコンセプトはありつつも、デュオで行うことに何かしら構造的なおもしろみがほしい、わかりきったことを創作するよりも、僕自身もどういう空間が立ち上がるんだろうってわくわくしながらやってみたいと考えました。ダンサーに人生を交換し合ってもらい、それを浴びせ合う。自分の人生を他者がしゃべってそれを浴び続けながら、自分も他者の人生を再生するように言葉を発話して相手に浴びせる。それは、ダンサーにとっても刺激的な体験になるだろうなと思いました。 文: 「かたち」を自作自演されていた時に、自分の人生を捧げる、エネルギーを出し切るということを言われていましたが、デュオの作品を見たときに、そのことを私も映像の中から感じました。 宮: このデュオ作品で、互いの人生を交換し合うのには、他にふたつ理由があります。ソロでは自分で自分の人生をさらけ出していたのですが、誰かにそれをやってもらうのは心理的な負荷が強すぎるかもしれないと思い、作品の構造からそこが考慮できないかと考えました。もうひとつは、先ほど話したようにいろいろな人から指摘を受けた、作品としての振る舞いについて考えた時に、自分語りの生々しい話も、少し工夫を加えて他者が語ることによって客観性が生まれたり、距離が生まれて、お客さんにとっても聞きやすいものになるかもしれない。そう考えて、様々な形で交換をする、変換をするチャレンジをしてみようと思いました。 文: 振付も交換されているんですか? 宮: 振付は、実はしりとりのような形で作っています。相手の動きから反射するように自分の動きを出す。その出した自分の動きに対して、相手がリフレクションするみたいな感じで、反応、反射して動きを出す。なので、自分から出ている動きのアイディアなんですが、それは相手が出してくれたものに反射して出したものである。そうやって何回も反射を繰り返し動きのシークエンスを作りました。自分の動き、相手の動き、相手の動きだけど自分の動き。互いが持っている動き同士の流れは全然違うものになっているんですが、その様子を見ている僕には、ユニゾンに近い性質を持っているように感じられます。 文: どうやってこの振付は作られたのか、そこがすごく気になったポイントでした。ダンサーたちの身体の中から出てきている、自分の言葉としてダンスを発しているような、強さを感じました。 宮: 互いの人生を交換し合ってはいるんですが、その人の身体から滲んでくるものを採用して、動きのレベルでもおもしろく感じられ、その人の身体の背景みたいなものがリンクするように、反射し合いながら創ることをやってみました。 文: KCAでの上演に向けては、ダンサーが変わるんですよね。 宮: そうなんです! すばらしいパフォーマーのお二人に参加していただきます! そのお一人である星善之さんは、普段は演劇の領域で活動されているパフォーマーさんで、今回が初めてのダンス作品の出演になります。語られる人生も、初演とは動きのレパートリーもすべて作り変えるので、コンセプトそのままに新作を創るような気持ちです。ちょうど一昨日稽古が始まって、僕自身もハラハラドキドキしながらも、楽しみに思っています。 文: 全然違うものが見られるのは、とても楽しみです。そして、KCAの上演会場(京都府立府民ホールALTI)は、初演の時とは、サイズも空間性もまったく違う場所になります。 宮: 率直に言うと、本当に不安が多いです。初演は、ムリウイという、以前はカフェ営業をしていたイベントスペースで、お客さんとの距離も近い場所でした。今、どう設計していくか、悩んでいます。
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自分の肩書について 文: 宮さんのプロフィールに、ダンサーや振付家ではなく、身体表現者、舞台作家と書かれていたのが気になりました。その心は? 宮: その心は、ネガティブな気持ちからきています。ネガティブからのポジティブです。自分はダンサーや振付家ではない、できないというところからスタートしています。きれいな振付が作れたり、バンバン踊れたりしたら、悩まず、こんなにいろいろ工夫しない。できないからいろいろ工夫したり、おもしろみを必死で見つけて楽しんでいたりする。僕はダンスにコンプレックスがあり、それでもやめられず、あきらめきれずにダンスにしがみついている。 そうするうちに、上手にダンスはできないけれど、自分の身体がいまここにあること、身体が動いてくれることがすごく幸せだなって思うようになりました。「かたち」を創った時は、ダンスかどうかはわからないし、俳優としての訓練も受けていないけど、僕の人生だったら僕がしゃべってもいいよねって思えた。発話を扱ってみたり、自分の人生を扱ってみたり、身体を扱ってみたりってしていると、ダンサーではないかもしれないけど、身体表現者とは言ってもいいかなっていう「しっくり感」があって使い始めました。ダンス作家や振付家とは自分から言わないけれど、とにかく舞台空間上に身体があって、そういったものがどう時間を過ごすのかっていうことは考えているので、映像作家と同じように、舞台作家と言うようにしてみています。 文: 演出家や振付家というよりも、すごく広がりますよね。 宮: そうですね。広げちゃっています。
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新潟での活動 文: 今後、どのような活動をしていきたいですか? 宮: とにかくはまずは自分とダンスとの関わりが継続して、そして充実していってほしいなっていう願いがあります。そこが欠けたり、空っぽのまま外側に広がろうとすると、空回りしたり、上っ面の言葉になりそうだなと感じているので、まずは自分が楽しくダンスをして、その輪が少しずつ人を巻き込みながら広がってほしいという気持ちが強くあります。 具体的には、創作もしつつ、アートの企画、場作りにも興味があります。まさに「かたち」の作品ではないですけど、自分が悩んで新潟から出て、でもコロナで新潟に戻り、ダンスを1回やめて、「でも何かやらなきゃ、やりたい」ってなっていた経験がありました。そういうこともあったので、新潟に新潟出身の振付家の方をお呼びして、上演とキャリアトークとワークショップを通して、多様なキャリアと表現を紹介する企画をしています※2。そういった形で自分自身も続けるし、新潟にいる若い人と新潟出身のダンサー、振付家をつなげられたらと思っています。 文: そういう取り組みを始めたのは、何かきっかけがあるんですか? 宮: 新潟でダンスをしていると、恵まれている気持ちもあるんですけど、個人的には大変なこともあったりします。新潟にはNoism※3があり、そのすばらしさを自分自身も感じていて、心から尊敬もしています。しかし、その大きな光の影に、Noismという表現やNoism以外のキャリアモデルを見出せなかった自分がいて、それ以外はダンサーではない、振付家ではないと感じてしまっていました。おそらく高校以降も新潟にいたとしたら、僕はダンスキャリアみたいなものを描けずにいたと思います。上京して多様な表現やキャリアと出会って、こんなあり方もあるんだと勇気づけられて、自分の道を描いてみようと思い始めました。作品を上演するようになってからも、新潟で僕みたいな人が上演していいのだろうかという怖さがあり、怖いけれども、どこかで向き合いたい、上演をしてみたいっていう気持ちがありました。 筑波大で出会った新潟出身の同士が3人いて、一緒にチームを組んだら、新潟で企画をして、できるんじゃないか、まだ何も成し遂げてない僕たちだけれども、場を作って人をお呼びすることで、発展途上のままでも向き合い始められるのではないかと思いました。ダンスはいろんな表現の仕方があるし、いろんなサイズがあるし、いろんな手法があるし、その続け方も本当に様々だっていうことをまずは紹介するだけで、今の新潟の高校生、大学生はきっと希望を持てるだろうと。ゲストには振付家の井田亜彩実さんと田村興一郎さんをお呼びして、キャリアトーク&ワークショップをしていただいたりとか、自分を含め新潟出身の20代の若手の振付家3名の表現を紹介したりしました。 文: 井田さんと田村さんも新潟出身なんですか? 宮: そうなんです。 文: 新潟で、Noism以外で踊っている人の方が圧倒的に多いだろうし、その人たちは全国に広がっていて、私たちのこの神戸にも新潟出身の人がたくさんいます。新潟の外のから見るNoismと、新潟にとってのNoismに違いがあることに、改めて気づかされました。 宮: 表現やキャリアを含め、多様であっても大丈夫だということをまずは紹介できれば、新潟の中にいる人にとっても心理的に楽になる部分、ダンスについてポジティブになれる部分もあるのではないかと思います。意外なことに、山崎広太さん、スズキ拓郎さんといった振付家さんも新潟出身で、中村蓉さんも生まれは新潟県長岡市だそうです。もしもこの企画が発展していったら、ぜひそういった方々にもお声がけさせていただきたいという気持ちです。 文: ちょうど今週末にDANCE BOXで公演があり、中村蓉さんは今ここにいらっしゃいます。 宮: 本当ですか! 文: 後で話してみます。この取り組みは、ダンスをやっている中学生や高校生にとって、可能性が広がりますね。 宮: そうなると嬉しいなと思いますし、この活動が僕の創作活動と切り離されたものではなく、自分のヒストリーやダンスについての疑問、問いかけといったモチベーションが、場作りと上演、どちらにも違う形で表出しているという感触があります。どちらも推し進めながら、場作りで生まれたインスピレーションやエネルギーを上演の場にも持ち込みたいし、上演の場で生まれたエネルギーを、人を集めてやることに持って行く。そこの根元のエネルギーは変わらない、僕の中で同じところから出ているような感覚があります。 文: 弟さんとAIR(アーティスト・イン・レジデンス)もやっているそうですね。 宮: はい、今年度初めて参加者の公募を行い、来年2025年の1月に初めて滞在していただきます。 文: すごい。それは、そのための場所があるということですか? 宮: そうなんです。僕の弟が、新潟県内の岩室温泉という過疎化の進む温泉地に移住して、町おこしに取り組んで3年、4年目くらいになります。弟自身が外からやってきた体験をもとに都会から田舎体験をしにくる県内外の大学生、若者を地域に受け入れる活動をしています。その活動を聞いた時に、AIRの可能性もあるのではと思いました。僕自身も個人でAIRをさせていただく経験が蓄積してきていて、弟の活動との接点みたいなものが浮かびました。アーティストを招くことで地域に何が起きるか、実験的にやってみるということで、アーツカウンシル新潟の助成をいただきながら、現在進行中です※4。 文: すばらしい。私たちもローカルな視点を持って活動していますが、そういう取り組みが広がっていくのは、コンテンポラリーダンスにとっても、日本のアートシーン、パフォーミングアーツシーンにおいても非常に意義深いと感じます。
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「コレオグラフィーアワード」への思い 文: 最後に、今回のKCAにかける思いを聞かせていただけますか? 宮: はい。「コレオグラフィーアワード」というタイトルですから、振付がテーマなんですよね。その振付に対してのコンプレックスであったり、振り付けること、「形って何だろう」ということを思考すること自体が僕の原動力、もしくは創るモチベーション、それに負い目があるからこそ向き合いたいと考えています。「それは振付じゃない」とか、「あなたの作品は後世に残せない」とか、そういった言葉をいただいたからこそ、今回僕が残すものは振付なのか、振付ではなくてもいいのか、すごく悩みながら、上演に挑むと思います。 でも、作品という、ある種の客観性だったり再現性みたいなものも担保しつつも、僕が絶対的に見たいのは形ではなくて、人間そのもののエネルギーであったりその存在が舞台に突っ立っていること、ぶつかりにくることなので、そういったものを新しいメンバーと一緒に探していきたいと思います。僕は今回舞台に立たないので、振付家として参加しに行って、上演審査になったら「ダンサーさんお願いします」って。なので、演者のおふたりと一緒に、形ではないものをどうやって形という枠組みの中に見出せるのかということをとにかく一緒に探します。「これももしかしたら振付かもね」って言ってもらえたり、「全然振り付けじゃなかったね。でもよかったね」とか、「全然だめ」とか言われるかもしれない。そこに向けて、できるかぎりの準備をして、向かいたいなと思っています。 文: ありがとうございます。日本語の「振付」は定義が狭いですが、「コレオグラフィー」という言葉はそもそもすごく広い意味があり、宮さんの創作はもちろんコレオグラフィーに該当すると私も思っていますし、新たなコレオグラフィーのページをめくるような機会になるといいなと思っています。楽しみにしています。
※1 「ヨコハマダンスコレクション 2022」コンペティション Ⅱ(2022年12月2日 会場:横浜にぎわい座 のげシャーレ) ※2 「HomeShip~新潟出身振付家によるオムニバス公演&キャリアトーク含むワークショップ及び調査~」(2024年12月26日・27日 会場:旧第四銀行住吉町支店) ※3 りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館を拠点に活動する、日本初の公共劇場専属舞踊団。2004年の設立以来、演出振付家、舞踊家の金森穣が芸術監督(現在は芸術総監督)を務めている。 ※4 「岩室AIRプロジェクト」
KYOTO CHOREOGRAPHY AWARD 2024 宮悠介(東京)
文(アヤ) |
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